[I desire not God's mercy but our future.]


 彼がこれまで生きてきた長くない人生の中で、神の存在を意識したのは何度あっただろうか。

 ガンビーノ・ヴァスタラビッチ――バスターはまだ5歳のとき、一匹の子犬を誕生日プレゼントに贈られた。それはオスのシェパードで、バスターはまるで本当の弟のように可愛がっていた。だが、それから一年ほど後、その犬は重い病に罹り、バスターの看病と願いも虚しく死んでしまった。幼いバスターにはそれが天命だったのだと受け入れられるはずもなく、何日もロクに食事も摂らずに泣きじゃくり、神に対して、生まれて初めての不信を抱いた。神様はどうして助けてくれなかったんだ、お祈りしたって何もしてくれないんじゃないか、と。

 それだけならば、成長すれば彼の心の傷も癒えていただろう。けれど、運命はバスターに無慈悲な転機を与えていた。それは、12歳を過ぎてからの数年間だった。バスターが10歳ぐらいの頃から、金という腐敗にまみれた政治家の父親への反発は以前からあったが、その父との確執が決定的となり、決別に至ってバスターが家を出たのが12歳の頃だった。
 家庭で愛情を知ることはほとんどなかったバスターは、その家を飛び出して触れた社会で人間の冷たさ・汚さ・醜さを嫌というほど見せつけられた。バスターは自分ばかりが不幸な境遇なのではない、もっと不幸を背負って生まれて生きている人間は大勢いると頭では分かっていたが、心の底にはそんな風に割り切れないものがもやもやと沈殿していた。

 それでも年月とともに、バスターはしたたかに生きる方法を自分なりに身につけていき、軍人になると決意して士官学校に入学した頃には、飄々とした楽天家を装うようになっていた。そうすることは人生を上手く渡り歩くには好都合であり、人間不信に陥っていた自分の心を守る術のひとつだと、裏社会で学んだからだった。
 世間の陰から知ったことは他にもあった。それは神など信じていても、何ももたらされず、辛さや悲しみが一層と増すだけだということだった。この時期のバスターが神を憎んでいたと言うのは大げさかもしれないが、神を心から信じる敬虔な者や信仰心といったものをバカにして見下していたことは確かであった。

 だが、バスターには再び大きな転機が訪れた。それは言うまでもなく、TETRAクルーたち――レアナ、ガイ、テンガイ、クリエイタ――との出会いだった。皆、彼が少年時代後半を過ごしてきた世界で見てきた人間とは、違う世界の人間だった。実直で裏などなかったし、ましてや他者を騙すこと、嘲ることなど絶対にしなかった。

 熱血漢で直情的な性格のガイとは、最初の頃はちょっとした衝突もあったりしたが、次第に友情が築かれていき、親友と言ってもよいほどになった。歳の差が親子どころか祖父と孫ほどもあるテンガイに対しては、バスターは尊敬と親愛の情を抱いていた。実の父親が持たなかったものやバスターにくれなかったものを、テンガイが持っているからかもしれなかった。ロボノイドだからと言ってクリエイタのこともバスターはまったく差別せず、同じクルーとしての仲間意識を持っていた。それにレアナ。純粋無垢で何の邪気もなくバスターに接して慕ってくれる、そんな彼女の言動には何度も面食らったが、いつの間にか、彼女の存在と、彼女と一緒にいる時間は、バスターにとって何よりも大事なものになっていた。

 この頃のバスターは神がどうだのといったことは忘れていたし、考えようともしなかった。初めて心を許せる仲間が出来たことが何よりもただただ嬉しく、楽しかったのだから。

 そして今。西暦2521年7月13日の夕暮れ。
 バスターはその日、今まで生きてきた中で何よりも強く神に祈り、同時に何よりも強く神を憎んだ。なぜなら、彼は大事な仲間――いや、もはや「家族」と言ったほうが適切であろう存在――ガイとテンガイを、目の前で次々と失ってしまったのだから。
 それでも、ほんの少し、それは砂粒よりも小さいかもしれなかったが、憎いはずの神を、瓦礫の山の上でバスターはわずかながらに許していた。神はバスターの親友と精神の父を奪ったが、バスターの腕の中の少女と、二人に寄り添うロボノイドを奪うことはしなかったから。特にレアナまでもがガイやテンガイと同じように死んでいたら……バスターはそんな恐ろしいことは想像もしたくなかった。いや、出来なかった。無意識にレアナの肩を抱く手に力が込められた。レアナがいま生きてこの腕の中にいる、それが現実であることをバスターは確かめたかったのかもしれない。

 憎しみが呼ぶのは憎しみだけ――そんな言葉がバスターの脳裏を一瞬よぎったが、すぐにバスターはその言葉を頭から投げ捨てていた。

 ……神様とやら、あんたのことはガキの頃から嫌いだったけど、ここまでとんでもない野郎だとは思わなかったぜ。これだけ散々奪っても、まだ奪い足りないかい? なら、決着をつけようじゃねえか。あんたにとって俺はアリよりも小さい存在かもしれないが、それでも俺は引くつもりなんてないんだ。俺は生きたいんだ。いや、守りたいのは俺の命だけじゃない。レアナとクリエイタを……いちばん大切な女と、愛すべき友をな……。

 20年にも満たない人生が終わろうという時、バスターは「神への抗い」という形で最も強く神を意識した。その反抗は、バスターと、彼と一緒に歩む道を選んだレアナ、二人の死という結末で終わったが、それでもそこには何かが確実に残ったのだと願いたい。その「残された何か」が、残されたクリエイタに「人類の再生」という行動を起こさせたのかもしれないし、また、バスターが神と呼んでいた存在が、「クリエイタが再生したバスターとレアナのクローン」=「新しい人類」の再度の誕生と発展を許したのかもしれないのだから――。



あとがき


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