[腕の中の希望]


 バスターは自室のベッド脇に、足を投げ出して座り込んでいた。その隣にはもう一人、こちらは足を組んで座っていた。レアナだった。彼女はこころもち体をバスターのほうへ向けていた。

 それはTETRA内での一年間の生活が始まって数日のことだった。TETRAの外の景色は変わり映えしない、時折、太陽が見えるくらいの変化しかない宇宙空間だったが、艦内の時間は連邦標準時に合わせて規則正しく進んでいた。
 その標準時で夜が訪れ、バスターが、彼にしてはやや早い時刻だったが自室で休もうと扉の前に立ったとき、不意に彼の制服と言えるパイロットスーツの袖を引っ張る者がいた。バスターには大方の予想はついていたが、振り返ってみると、そこにはレアナがいた。「大方の予想」というのは、このTETRAに乗っている者で、バスターの袖を引っ張るというどこか子供っぽいことは、レアナ以外やらないだろうと思ったからだ。ガイやテンガイならさっさと名前を呼ぶだろうし、クリエイタも同じだろう。それはさておき、バスターはレアナの顔を覗き込んだ。レアナが少し俯いていたからだ。
「どうした? レアナ?」
「えと……あの……ちょっとだけ、お話してもいい?」
「話?」
「あ、あのね、バスターが眠かったらべつにいいよ?」
 バスターは確かに早く休もうと思っていたが、今すぐ寝ないとぶっ倒れるというわけではなかった。だから、レアナの問いかけに対し、バスターは笑って答えた。
「ああ、いいぜ。入れよ」
 バスターがそう言うと、レアナの顔にも笑みが浮かんだ。
「じゃあ……おじゃまします」

 そういう経緯で二人はバスターの部屋にいた。レアナは何とはなしに、数日前のミーティングで決まった、この一年間の過ごし方のことを口にしていた。
「年中行事はちゃんとやろうって決まったよね。クリスマスとか。タナバタもまたやりたいね」
「そうだな。こういう場所じゃ、生活にメリハリをつけなきゃいけないと、色んな意味で悪い影響しか出ないって艦長も言ってたしな」
「お誕生会もね」
「まさかこの年になって、そんなもんすることになるとは思わなかったけどな」
「バスターはしたことないの? お誕生会?」
「ガキの頃はな……」
 バスターは苦笑気味に答えた。その表情と歯切れの悪さから、レアナは前に知ったバスターの育った家庭環境を思い出した。レアナはしゅんとなり、心底すまなそうに謝った。
「ごめんなさい……あたしって、ほんとに無神経だね……」
「そんな謝ることねえよ。気にしてねえって」
「ほんとに?」
「本当だとも。俺がそんな心の狭い奴に見えるか?」
 バスターはにっと笑い、手を伸ばしてレアナの頭をそっと撫でた。
「……ううん。見えない」
 レアナも笑い、伸ばされたバスターの手に自分の手を重ねた。ひとしきり、二人は笑いあっていた。

 それから二人はまた話を続けていたが、段々とレアナの口数が少なくなってきた。それでも無理して話そうとするレアナの様子を察し、バスターは口を挟んだ。
「な、無理するなよ」
「え?」
「無理して喋らなくってもいいってこと。お前もしんどいだろ?」
 実際、バスターの言うとおりだった。そのため、レアナは少し沈んだ表情になった。
「うん……ごめんね、うるさかった?」
「そんなことねえさ。ただ、なんだ……お前が辛くないかって思ってさ」
「うん……でも、だまってると悪いかなって思ったの」
「『気まずい沈黙』ってやつか? バカだな、そんなこと、俺といるときは気にしなくたっていいんだよ」
 バスターはレアナの肩に手をやると、そっと引き寄せて微笑みかけた。レアナはその笑顔を見上げると、バスターの言葉に偽りがないことを確認したかのように、安心してため息をついた。

 二人はそのまま身を寄せ合っていたが、レアナが体の向きを変え、バスターに更に身を寄せてきた。レアナはバスターの広い胸に顔を寄せ、そっと瞳を閉じた。バスターはどうしたのかと思ったが抵抗などはせず、むしろレアナが楽な姿勢を取れるように、自分も体を動かした。そうして、自然とバスターの正面にレアナが座り込んでいた。
 レアナはバスターの胸に顔を寄せたまま、しばらく何も言わなかったが、やがて、小さな声で呟いた。
「こわいの……」
「怖い?……どうしたってんだよ?」
 バスターの問いかけに、レアナはそのままの姿勢で答えた。
「一年間、このTETRAですごすって決まったでしょう? でも、その一年がすんだら、何があってもあたしたちは地上に降りなきゃいけないじゃない。そのときがこわいの……」
「一年あるんだぜ? 今から気にすることじゃねえだろ?」
「うん、そうだけど……この前も言ったけど、一年って、あっという間にすんじゃうような気がして……」
「だからこそ、明るく過ごそうって決まったんだろ?」
 バスターはレアナの背中に片腕を回し、抱き寄せた。もう片方の手は先程のように、レアナの頭を撫でていた。レアナのさらさらの髪の感触が、バスターの指にも気持ちよく伝わっていた。
「お前、言ったじゃねえか。俺達は「希望」だって。その張本人が、なに沈んでるんだよ? そのときが来たらそのとき考えりゃいいのさ。今は……期限までの日を、少しでも明るく過ごそう。な?」
 レアナがバスターの顔を見ると、彼は笑っていた。何の迷いもない、偽りではない、心からの笑顔だとレアナにもわかった。レアナもそれに引き込まれるかのように、自然と微笑みを浮かべていた。
「……そうだよね」
「納得したか?」
「うん」
 レアナは明るい声で返事し、再びバスターの胸に顔を寄せた。バスターはそんなレアナの髪を、指で梳いていた。
「……バスターの音がする」
「へ?」
「バスターの心臓の音。とくんとくんって……よくわかんないけど、安心できるの……もしかしたらこれが……「希望」の音なのかな……?」
 バスターは思いもよらぬ、けれどどこか天真爛漫なレアナらしい言葉に、なぜだか暖かいものを感じた。レアナの髪を梳く手を止めると、両手をレアナの背中に回し、優しい口調で答えた。
「そうだな……こうしてると、お前の心臓の鼓動も聞こえるぜ。お前が言うとおり……生きているっていう事実の音だから……「希望」なのかもしれねえな……」

 二人はそうやって、互いの鼓動に耳をすませていた。その心音は、戻ることのない時間の象徴だったが、同時に、不思議な安らぎをもたらしてくれた。それは、互いの生の証拠でもあったからかもしれない――。



あとがき


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