[A Tale of Innocence]


 レアナがにわかに体調を崩した。宇宙空間での長期の閉鎖環境という特殊な状況もそうだが、彼女はバスターやガイとは違って、軍人としての本格的な訓練を受けた身体ではなかったし、身体的にバスターやガイより脆い部分があっても、当然と言えば当然かもしれなかった。とりあえずクリエイタに薬を処方してもらい、2〜3日安静にしていることになった。

 そんな風にレアナが体調を崩して2日目の夜。彼女の部屋の扉をノックする音が聞こえた。レアナが起き上がって扉を開けると、そこにはバスターが立っていた。片手にはミネラルウォーターのボトルとグラス、それに処方された薬剤がトレイに載っていた。
「バスター……? どうしたの……?」
「いやその……お前、今夜のぶんの薬、飲んでないだろ? いくら快復方向に向かってても、飲むものちゃんと飲まねえと、また元の木阿弥だぞ?」
 そう言うとバスターはレアナの部屋に入り、テープルの上に薬の載ったトレイを置いた。レアナは扉を閉めると、バスターが持ってきてくれた薬をミネラルウォーターで飲み下した。
「ありがとう……バスター」
「礼を言われるほどのことじゃねえさ。気にするな」
 そう言いながらも、バスターの頬は微かに朱に染まっていた。そのバスターの表情を見たレアナは、何故だか彼女自身も頬を赤らめていた。
「……どうした? そんな顔を赤くして? 熱でもぶり返したのか?」
「う、ううん! 違うよ。なんでもない」
「そうか……ならいいんだけどな。とにかく横になってろよ。起きてるとまだ辛いだろ?」
「うん……」
 レアナはバスターの言葉に素直に従い、ベッドに横になった。バスターがブランケットをかけてやり、その手をベッドから離そうとしたとき、不意にバスターの手を掴む感触があった。それはバスターの手より一回り小さなレアナの手だった。バスターは戸惑いながらも、極めて冷静に尋ねた。
「ど……どうしたんだよ?」
「……たいくつなの。お願い、何かお話して」
「本当に子供みたいだな、お前は」
 バスターにそう言われ、レアナは頬をますます赤らめた。だが後悔はしていなかった。バスターと少しでも一緒にいたいというレアナの気持ちに偽りはなかったのだから。
「……そうだな。お伽話みたいなもんでもいいか?」
「うん。なんでもいいよ」
「そうか、じゃあ……」
 バスターはレアナの手を握り返したまま、「お伽話」を語り始めた。


 とある時代。幼い頃の酷な仕打ちから、「心」を失った少年がいた。少年はそれでもしたたかに生き続けていた。

 その少年は、ある日、不思議な少女に出会った。少女は幼少の頃から幽閉されて育ったため、外の世界のことを何も知らなかったが、少年はいつしか、なぜかその少女に惹かれるようになった。そして少女も、少年との交流を通して、彼が幼い頃に失った「心」を、無意識のうちに再生していた。

 やがて少年にとって少女は唯一無二の存在となり、「親友」と呼べるようになる間柄の少年とも交流を深めていく。少年は親友の助けを借りて少女を幽閉状態から救い出し、そのまま手に手を取って二人は世界のどこかへ消えていった。


「……二人は、その後どうなったの?」
 レアナがもっともな意見を述べると、バスターは笑って答えた。
「こういう話の結末は決まってるだろ。二人は幸せに暮らしました…ってな」
「そうなんだ……」
 レアナはバスターの手を握ったまま、微かに笑った。
「ね……もしかして、バスターがいまお話してくれたことのモデルって、バスターやあたしやガイのこと?」
 バスターは一瞬びくりとしながらも、レアナの生来持つ直感の鋭さに感服した思いだった。
「まあ……な。脚色も入ってるけどな」
「やっぱり……でも、バスターは大事なことを忘れてるよ」
 レアナはバスターの顔を見据えたまま、そう言って微笑んだ。
「な……何がだよ?」
「あたしはバスターに一方的に何かをあげただけじゃないよ。バスターだって、あたしに沢山のものをくれたよ。ガイやクリエイタや艦長もそうだけど……バスターに出会えなかったら……あたしは戦闘機に乗ることにしか生きる力のない、ただの子供だったかもしれないもの」
 レアナはにっこりと笑った。屈託のない、いつものレアナの笑顔だった。バスターはそんな彼女の瞳を見つめ、自分もいつの間にか笑みを浮かべていることに気付いた。
「……お前にはどうにも敵わないな」
「え? なに?」
「何でもない。それより、もう休め。薬も効いてきた頃だろ?」
 バスターはレアナの手をそっと離すと、その手で彼女の頭を優しく撫でた。
「うん……おやすみなさい」
 レアナが目を閉じるのを確認して、バスターはそっと彼女の部屋から出て行った。レアナはうとうとしながらも、バスターが話してくれた、彼の創作の「お伽話」の内容を反芻していた。あの「お伽話」は、バスターとレアナの今までの関係の変化を綴ったものであり、同時に「こうありたい」というバスターの未来への願いがこめられたストーリー。その未来がほんの少しでもいい、現実になってくれれば……そんなことを祈りながら、レアナは眠りに落ちていった。

 バスターとレアナ、二人の願い。それは些細なものだったが、それを願い、祈る気持ちが、何の混じりけもない純粋なものであったことには変わりなかった。それだけは何よりも確かであると言えるだろう。



あとがき


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