[ささやかに、その一杯を]


 それは西暦2521年、6月に入ったばかりの頃だった。連邦標準時で19時を回り、つつましい夕食も済んで食後のお茶をすすっていたとき、テンガイがバスター、レアナ、ガイの3人に厳かに言ったのだ。
「バスター、レアナ、ガイ。あと1時間ほどしたら、艦橋に来てくれ。理由はそこで説明する」
 それだけ言い残すと、テンガイはさっさと立ち去っていった。残された3人は何の用かと不思議に思ったが、とりあえず指定の1時間の間を食堂で過ごすことにした。個室に戻ると、うっかり寝過ごしてしまう可能性があったからだった。
「艦長、なんだってんだろうなあ? なあ、バスターやレアナには心当たりないか?」
「いや、俺は全く……でもあんな真面目な顔してたんだから、何か事情はあることは確かだな」
「でも、本当にどうしたんだろ……ねえクリエイタ、あなたは何も聞いてない?」
 テーブルを拭いていたクリエイタにレアナが問いかけると、クリエイタは少しびくっときたように体を震わせたが、すぐにいつもの彼に戻った。
「イエ……ワタシモ クワシクハ シリマセン」
 それがクリエイタの嘘であることは、人生経験豊富なバスターには分かっていたが、敢えて口にせずにはいた。それに、こういうことは直前まで知らないほうがいいのだ。バスターは思わず笑いを浮かべたが、すぐにいつもの飄々とした表情に戻った。だが、ガイの表情がいつの間にか深刻なものになっていたことには、バスターもレアナも気付いていなかった。

 1時間後――テンガイとの約束どおり、艦橋に集まったバスター、レアナ、ガイは、艦橋の床に直に腰を下ろして酒を飲んでいるテンガイの姿に、多少ならずともびっくりした。3人が来たことに気付いたテンガイは振り返り、手招きをして、3人を自分の近くの床に座らせた。そしてそれぞれにグラスを持たせた。よく見れば、テンガイが好きな日本酒だけでなく、白乾児(パイカル)もあったし、かなり上等なワインもあった。ブランデーやウイスキーまであり、まるで酒の博覧会のようだった。
「どれでもいいぞ。好きなものを選べ」
 バスターは未成年ながら飲酒経験はあったし、ガイもテンガイと差しで飲んだことがあった。バスターは迷った挙句、ウイスキーを水割りにし、ガイは日本酒を選んだ。唯一、レアナだけは飲酒経験がなかったが、バスターが比較的アルコール度数の低いワインを選んでやった。
「さて……今日は無礼講だ。楽しくやってくれ」
 テンガイはそう宣言すると、ぐい飲みに注いだ白乾児をぐいっと煽った。意外なことに、酒には弱いほうであるガイも、ぐっと一気飲みをした。バスターとレアナは事情をよく飲み込めないまま、それぞれのペースで酒を飲んでいたが、タイミングよく、クリエイタがクラッカー代わりに乾パンにちょっとした具を載せたカナッペを持ってきた。バスターはその一つをつまみながら、クリエイタにこっそりと尋ねた。
「おい、クリエイタ。今日の艦長、どうかしたのか?」
「エ?……アア、カンチョウハ ナニモ オッシャッテマセンデシタカ。キョウハ チョウカンノ……ガイノ オトウサンノ タンジョウビ ナンデスヨ」
「ええ!? 長官の!?」
 思わず大声を出してしまったレアナだったが、慌てて口を塞いだ。しかし、幸運にも、その声は黙々と酒を飲むテンガイやガイには聞こえていないようだった。
「そうか……長官の……艦長にとっちゃ親友だし、ガイにとっちゃ父親だもんな……確かに特別な日だよ……」
 バスターは納得して水割りを飲み干した。だが二杯目を作ろうかとウイスキーの瓶に手を伸ばしたとき、すぐ横に座っているレアナがふらふらになっていることに気付いた。見れば、グラスに注いだワインがすっかり空になっていたばかりか、その傍のワインの瓶が空っぽになっていた。
「お、おい!? レアナ!? 大丈夫か!?」
 バスターがレアナの体を揺さぶると、レアナはかろうじて意識を取り戻した。
「……うーん……あ、バスター……?」
「平気か? 部屋に戻るか?」
「……ううん。長官のお誕生日なんだもん……この世にもういない人のお誕生日でも、お祝いするのは大事だもん……だいじょうぶだよ……」
 レアナは途切れ途切れにそう言ったものの、バスターに寄りかからなければ座っていられる状態ではなかった。けれど、彼女自身がここにいることを選んでいるのだから、仕方ない。バスターは、片方の肩をレアナに貸したまま、テンガイとガイに声をかけた。
「艦長、ガイ。俺、すっかり今日が何の日か忘れちまってたよ……すまん」
 テンガイもガイも酒を飲む手を止めたが、バスターを責めるような雰囲気は全くなかった。
「なーに言ってんだよ。よその親父の誕生日なんて、知らないほうが当たり前だって。気にすんなよ」
 ガイはそう言って、再びグラスの酒を飲み干した。その口調こそ普段とほとんど変わりなかったが、よくよく見れば、ガイの顔は耳から首筋まで真っ赤だった。
「おい、ガイ。その辺でやめておいたほうがどうだ? お前、真っ赤だぞ?」
「俺様が〜? そんなことねえよ、なあ、艦長!」
「……ワシもそろそろ止めたほうがいいと思うぞ、ガイ。お前は酒にあまり強くないんだからな」
「そりゃねえよ〜、艦長〜」
 その言葉を最後に、ガイはバターンと大きな音を立てて仰向けに倒れた。そしてそのまま、豪快ないびきを立てて眠ってしまった。テンガイはやれやれといった風情でガイを抱き起こした。
「まったく、無茶するからだ……無理もないがな……バスター、ガイはワシが部屋に送って行くから、レアナを部屋まで連れてってやれ。そっちもすっかり眠ってるようだしな」
 バスターがテンガイの言葉を受けてレアナのほうを見ると、バスターの肩に頭をもたれさせたまま、いつの間にか穏やかな寝息を立てていた。レアナを起こさないようにそっと両腕で彼女を抱えると、バスターは立ち上がった。
「……なあ、艦長。長官も向こうの世界で、同じように飲んでるのかな……?」
 ガイに肩を貸したテンガイは少しの間、黙っていたが、呟くように答えた。
「さあな……今日のこの酒宴も、結局はワシやガイの自己満足かもしれん。だが……五十嵐があの世から今日の様子を見て、もしも喜んでくれているなら……ワシにとって、そんな嬉しいことはないな……」
 そう言い残すと、テンガイはガイに肩を貸したまま、居住区のほうへと歩いていった。バスターはレアナを抱きかかえたまま、しばらくそこに立っていたが、やがて、テンガイたちと同じように居住区へと足を運んだ。

 レアナのパイロットスーツのジャケットを脱がせ、ブーツも脱がせてベッドに横たわらせると、ブランケットをかけながら、バスターは手近な椅子に座って、レアナの寝顔をしばしの間、眺めていた。酒のせいか赤みを帯びていたが、その寝顔は本当に愛らしく、バスターはドキリとするものを胸に感じた。これ以上、ここにいるのはまずい――そう判断したバスターは、すぐさま立ち上がって部屋を去ろうとした。だが、それは出来なかった。いつの間にか、レアナの右手がバスターのパイロットスーツを掴んでいたのだ。それもジャケットだけでなく、ズボンまで一緒にしっかりと握っていた。これでは、この部屋から出ようにも出られない――バスターは覚悟を決め、椅子にきっちり座り直すと、レアナの枕元に頭を預けるようにうつ伏せになって、眠りに就いた。

 翌朝。目覚めたレアナは自分がパイロットスーツのまま眠っていたことに驚いたが、それ以上に、バスターが枕元で眠っていることに仰天した。何があったのかパニックになっているところへ、当のバスターが目覚めた。
「……ん? ああ、起きたのか、レアナ」
「バ、バスター!? どうしてここにいるの……?」
「どうしてもこうしても、お前が俺を離さなかったからだろうが。見ろ、しわになっちまったじゃねえか」
 バスターはジャケットの裾とズボンの一部を見せた。レアナはようやく状況が理解出来たようで、顔を赤くして頭を下げた。
「ご……ごめんなさい。あたしのせいで……」
「そんな深刻に謝る必要ねえよ。それより、二日酔いとかは平気か?」
「え?……あ、うん……大丈夫みたい」
「じゃあ、シャワーでも浴びて、朝飯を食いに行こうぜ。また後でな」
 バスターは扉を開くと、そのまま隣の自分の部屋へと戻っていった。レアナがすうっと息を吸い込むと、嗅ぎ慣れたバスターの匂いが残っているような気がした。

 食堂にレアナが顔を出すと、既にテンガイもバスターもガイもいた。バスターはクリエイタの調理の手伝いをしていたが、ガイはテーブルに突っ伏したまま、ぴくりとも動かなかった。どうやら、ゆうべの酒が未だに残っているらしい。レアナはそんなガイの様子にくすりと笑ったが、その向かい側に座っているテンガイのほうへ声をかけた。
「おはようございます、艦長」
「ああ、レアナか。おはよう」
「あの、艦長、昨日のことだけど……知らなくてごめんなさい」
 頭を下げて謝るレアナに、テンガイは優しく言葉をかけた。
「なに、ガイもゆうべ言っていただろう。知らんでも当たり前だ。ワシのほうこそ、ろくに説明もせんで、慣れん酒宴に付き合わせて悪かったな」
「でも……」
「それよりも、ゆうべはゆっくり休めたか?」
 レアナは同衾こそしなかったとはいえ、バスターと同じ部屋に寝たことを思い出して、一瞬、顔をかっと赤らめたが、すぐに落ち着きを取り戻した。
「あ……はい。でも艦長、ワインって、思っていたよりもおいしいものだったのね。クセになっちゃうかも」
 レアナが冗談交じりでそう返すと、テンガイも頬を緩めた。
「やれやれ、バスターだけでなく、お前も酒の旨みに目覚めたようだな。すぐに酔った割には二日酔いもしとらんようだし……全く、ガイに少し分けてやりたいくらいだわい」
 その言葉に、二人は同時に笑った。時を同じくして、質素だがかぐわしい朝食の匂いが食堂に立ち込めてきた。レアナは配膳を手伝いに厨房へと行き、ガイもその匂いに釣られたように頭を上げた。

 特別な日の翌日。いつもと変わらぬ、TETRAの朝の風景が始まったばかりだった。



あとがき


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