[To the End of the Space]


「ねえ、今年もやらない?」
 バスターの袖を引っ張り、レアナが突然に言葉をこぼした。
「今年もって、何をだよ?」
「タナバタだよ。明日は7月7日でしょ?」
「タナバタ……ああ、あれか」

 1年前、あの「大惨事」の起こるほんの1週間前へと、バスターは記憶を手繰り寄せた。事の起こりは、昨年――西暦2520年に遡る。連邦軍最新鋭戦闘機「レイディアントシルバーガン」の宇宙空間でのテスト運用が始まった日は、その年の7月7日だった。


「タナバタ?」
 割り当てられたシルバーガン1号機のテスト飛行を終え、TETRA艦橋へ戻ってきたバスターは、聞き慣れない言葉に首を傾げた。
「そう。タナバタ。ええっとね、すごく昔のことなんだけど、7月7日にね、笹を飾って、あと願いごとを書いた紙をつるすっていうイベントがあったんだって。あたしやバスターのご先祖様はやったことないかもしれないけど、艦長とかガイや長官のご先祖様なら、たぶんやったことあるはずだって。艦長は小さいころにお祖父さんから聞いたことあるって言ってたし、クリエイタも、そういうイベントは歴史の中にちゃんとあったって言ってたよ」
 にこにこと笑顔で話すレアナの様子を眺めながら、バスターはふうん、といった風情で傍の椅子に腰掛けた。
「艦長や長官の先祖ってことは、そっちの民族とか地方の行事だったんだろうな。で? その”タナバタ”がどうかしたのかよ?」
「せっかくだもん。今日は7月7日だよお? やろうよ! 宇宙でのテストが始まった日だし、ちょうどいいよ!」
 思ってもいないレアナの返答に、一瞬、バスターは唖然とした。
「やるったって……笹はどうするんだよ? そこらへんに生えてるもんじゃねえぞ? 俺だって、本物が生えてるところなんて、そうそう見たことないし。第一、ここはもう宇宙だぜ?」
「それなら、心配ねえぜ?」
 後方からの声にバスターが振りかえると、ガイが何やら抱えて立っていた。抱えていたものは――なんと、バスターがさきほど危惧したばかりの”笹”だった。驚きを隠しきれず、バスターは声をうわずらせた。
「お前……それ、どうしたんだよ!?」
 バスターの驚愕ぶりを面白がるようにガイはにんまりと笑い、肩に抱えていた笹を突き出した。よくよく見てみると、笹の大きさはそれほどでもなく、50〜60cmほどの長さだったが、飾り付けるにはじゅうぶんな長さと枝ぶりだった。
「なあに、連邦軍本部のレストルームによ、和風庭園っぽい造りのところがあるだろ? そこに生えてたやつを1本ばかし……」
「くぉらー!!」
 得意満面なガイの”作戦報告”を遮ったのは、テンガイの怒声だった。見れば、ガイの後ろには、いつの間にやってきたのか、テンガイが青筋を立て、仁王立ちになっていた。場の空気が、一瞬の内に凍りついた。
「まったく、七夕の話なんぞ聞いてくるから、何を考えているのかと思えば……ガイ! 立派な備品押収罪だぞ!!」
「か、艦長! 勘弁してくれよ!?」
「艦長、ごめんなさい! あたしも悪いの! 笹ってどこにあるんだろうねってガイに言ったりしたから……許してあげて!」
 今にもガイに鉄拳制裁さえ加えかねない勢いだったテンガイに対し、レアナが慌てて駆け寄り、頭を下げた。その助け舟が功を奏したのか、テンガイの怒りは当初よりも和らいだようだった。
「なんだと……全く……お前達のやることには予想がつかん……ガイ、今回の件は見なかったことにする。だがな! 今後また、こんなことをやらかしてみろ! 今度は軍法会議も辞さんからな!」
 当のガイはといえば、冷や汗でぐっしょりと濡れそぼった様子だった。
「りょ、了解……はあ……寿命が縮んだぜ」
「これで笹につける願い事は決まったな。”寿命が元に戻りますように”ってな」
 一部始終を冷や冷やした面持ちで見ていたバスターだったが、打って変わってガイに茶化すように言葉をかけた。
「なんだよ、それ!? 俺様の願い事はそんなちゃちくさいもんじゃねーぞ!?」
「へえ〜、そうかい?」
「ほらほら〜、艦長も許してくれたんだし、はやく笹を飾ろうよ!」
 先ほどまでの喧騒が無かったかのように、レアナは笑顔で2人に声をかけた。見れば、手には飾り付けに使うと思われるハサミや糊、それに色紙(いろがみ)などを既に携えている。その様子に、バスターとガイは思わず互いに苦笑しながらも、飾り付けに取り掛かった。

 それから小1時間ほどの後――ガイが採取してきた(世間では”失敬してきた”とも言う)笹の枝は、飾りの重みでしなって見えるほど、豪勢に飾り終えられた。もっとも、3人とも本来の「七夕」自体を味わったことがないために、その飾りはどこか滑稽に思えるものだったが。喩えれば、本来ならクリスマスツリーにでもふさわしい飾り付けが、小ぶりな笹に場違いになされている、とでもいったところだろうか。ともあれ、「TETRAの七夕」を彩る笹は、完成した。
「やれやれ……っと。こんなもんか? 全く、子供みたいなこと、させられちまったぜ」
「そんなこと言いながら、バスター、お前、結構楽しそうにやってたぜ〜?」
「なな、何言ってんだ! こういうときは思いきってパーっとやるもんなんだよ!」
「もう、ふたりとも、またケンカして。あとは願いごと書いた紙をつるすだけだね」
 レアナは残った色紙を適当な大きさに切りわけ、各自に手渡した。
「はい、これがバスター、これがガイのね。こういう紙を”短冊”って言うらしいんだけど……あ、そうだ。艦長やクリエイタにも書いてもらってくるね! 確か格納庫のほうにいるって言ってたから!」
 言うが早いか、レアナは短冊を持って、艦橋から走り出ていった。残されたバスターとガイはというと、手渡された短冊を前に思案にくれながらも、レアナが戻ってくる頃には各々「願い事」をしたため終えていた。
「お待たせ〜。さ、早くこれも飾ろうよ!」
「こうして吊るせばいいのか? なになに、”TETRA安全祈願”……これは艦長だな。こっちは”皆、健康でつつがなく過ごせますように”……いかにもクリエイタらしいな」
 さっそく吊るされた短冊をバスターは検分しながら、それぞれ”らしい”願い事に、思わず笑いをもらした。
「バスターはなんて書いたの? ええっと……”新型バイクが買えますように”……バスターも、子供みたいなとこ、あるんだね」
「い、いいだろ!? 他に特に思いつかなかったんだからよ」
 レアナの言葉に、バスターは若干、顔を赤らめながら反論した。そんないつもの彼らしからぬ様に、レアナはますますクスクスと笑みをこぼした。
「その点、俺様の願い事は違うぜ? ”世界平和!”これ以上のスケールの願い事が、あるかってんだよ!」
「……スケールでかすぎだよ」
 バスターは呆れたように苦笑し、はみださんばかりの大きさの字で書かれたガイの短冊を眺めた。ふと、レアナが最後に吊るそうとしている短冊が目に入った。
「そういやレアナ、お前はなんて書いたんだ?」
 バスターが何気なく内容を尋ねると、レアナは吊るしたばかりの短冊を見せながら、答えた。
「”テストが上手くいきますように。それに、お父さんとお母さんに会えますように”って。……ふたつも書いて、よくばっちゃったかなあ……」
 短冊から手を離したレアナの口調は明るかったが、それは少し寂しげだった。バスターは釣られるようにいたたまれない気持ちになったが、そっとレアナの頭に手を重ねた。
「いいんじゃねえか? テストが上手くいくってことは、お前も頑張ったってことだしさ。それがお前の両親にも伝われば、別に願い事を欲張ったってことにはならねえさ」
 笹のほうへ顔を向けたまま、手と言葉を添えてくれたバスターの様子に、レアナは一瞬、あっけにとられたようにぽかんとしたままだったが、やがて笑顔で答えた。
「……ありがとう」
「……礼なんか、気にすんなよ。当たり前のこと、言っただけなんだからさ」
 自分に向けられた感謝の言葉に対し、バスターは多少照れたように言葉を返した。
「さーてと! おい、この笹、どこに飾るんだよ?」
 だしぬけにガイが目前の笹の枝をかつぎ、無頓着に尋ねてきた。
(場の雰囲気のわからない奴だよな、こいつは……)
 バスターはそんな内心を隠し、ぶっきらぼうに答えた。
「この艦橋でいいんじゃねえのか? どうせ、定時連絡には皆ここに集まるんだし、TETRAの中心部なんだからよ」
「この辺りがいいんじゃない? ここなら、長官のモニターからもよく見えるよ!」
「お前、そこはいくらなんでも艦長の席の真ん前だぞ!?」
 少々の騒ぎの末、結局、艦橋の中心辺りに邪魔にならないよう、笹は据え付けられた。なお、この笹に吊るされた息子の短冊を目にした五十嵐長官の反応は、苦笑し呆れながらも微笑ましいものであったことを記録しておく。


「……長官の反応、見モノだったな……やっぱり親子らしかったよ、ガイと長官は」
「そうだね……」
 レアナはバスターと同じように笑いながらも、バスターの袖を握るその手には、知らずのうちに力が加わっていた。もう会うことの叶わない彼女の両親のことを、思い出させてしまったのかもしれなかった。バスターは思いがけずしんみりとしてしまった雰囲気を察知し、取り繕うように慌てた。
「で、でもよ。今年は笹もないし、どうやってタナバタをやろうか? 去年の笹は、宇宙に流しちまったしよ」
 七夕の笹は、翌日に川に流す――その風習をクリエイタの持つ歴史知識から教えてもらったものの、この26世紀にそんなことが許される川は地上にはごくわずかしか存在しなかったし、第一、彼らの居る場所は地上ですらない宇宙であった。仕方なく、格納庫のハッチを開け、色とりどりに飾られた笹を宇宙空間に流すことで代用したのだった。せっかくの笹がスペースデブリのひとつになってしまうことは、どこか残念だったが、慣性をつけて放り出された笹がTETRAから遠く離れていく様は、多少の救いになっていた。
「うーんと、それなんだけど……あのね、今年は、紙飛行機で代わりにしようかなって思ったの」
「紙飛行機?」
「そう。飾りつけは出来ないけどね、紙飛行機を折って、短冊に書くかわりにそこに願いごとを書くの。大昔のタナバタのこと調べてたら、笹が手に入らなかった代わりに、短冊を鶴の形に折って川に流した人もいるっていうのを見つけたから……どうかなあ?」
 バスターの顔を覗きこむように、レアナは尋ねてきた。反対されるのを恐れてだろうか、その表情はどこか心配げだった。だが、返ってきた言葉は嬉しいものだった。
「……それ、いいかもな。鶴の折り方は知らねえけど、紙飛行機くらいなら折れそうだしな。それに、俺達はパイロットなんだから、紙飛行機でちょうどいいじゃねえか」
「……! よかった! じゃあ、さっそく準備しようよ! ガイたちも、きっと賛成してくれるよ!」
 バスターの返答にレアナはパアッと顔を明るく変え、飛び出すように部屋を出ていった。部屋に取り残されたバスターは、そんなレアナの様を見送り、苦笑するような表情でいたが、不意にその表情が神妙なものに変わった。7月7日ということは、あの「運命の日」の1週間前。自分達は結局、1年近く衛星軌道上に取り残されるはめになってしまった……そして、今のTETRAの残存物資の状況から考えても、大量の敵機が今だ徘徊しているであろう地上に降りなければいけない日は刻々と迫っている。遅くともこの7月中か、早ければ来週にでも……そんな中で、明るい雰囲気を保とうとするレアナの姿は健気にさえ思えた。
「……あいつ、いつもあんな風なんだよな……無理すんなよ……」

 レアナの変則的な七夕の提案に対し、テンガイもガイも、そしてもちろんクリエイタも反対意見など示さなかった。ガイが乗り気だったのは、彼の性格から考えても納得し得ることだったが、意外なのはテンガイが、想像以上に積極的だったことだった。
「宇宙生活では、メリハリをつけんといかんしな。たまには、よかろう。去年もやったことなのだしな」
 紙に願い事を書き、紙飛行機を折る段階になっても、テンガイは意外なほど積極的だった。工作に不慣れなレアナに対しては、アドバイスを出して手伝ってやったりもしたほどだった。その様からは、テンガイの意外な面を見たと同時に、TETRAの全責任者として、いや、バスター達の親のような存在としての責任感が、伝わってくるようだった。

 そして明後日――。一晩、艦橋に飾られるように置かれていたそれぞれの紙飛行機は、宇宙へと流される段階となった。各々の紙飛行機はしっかりと糸で結ばれ、バラバラにならないよう、まるで編隊を組んでいるかのように見えた。「独りぼっちになったら、かわいそう」――レアナのその言葉によって、紙飛行機達はこのように編隊を組むこととなったのだった。
「さて、ではハッチを開けるぞ」
 宣言のように厳かにテンガイは言い、格納庫のハッチを開いた。昨年の笹がそうであったように、紙飛行機の編隊は慣性をつけられて、TETRAから離れていった。その様を艦橋の窓から見ながら、レアナはぽつっと呟いた。
「どこまで行けるのかなあ、あの飛行機……」
「……どこかの星の重力場にでも捕まらなけりゃ、どこまでだって飛んでいけるさ。それこそ果ての果てまでもな」
 隣で同じように宇宙空間を見つめていたバスターの言葉に、レアナは顔をほころばせた。
「果てまでも……そうだよね。去年の願いごとは、艦長とクリエイタの書いた2つしか叶わなかったけど……2つでも叶ったことは、じゅうぶんなことだよね……今年は、いくつ叶うのかなあ……?」
 再び窓の外へとレアナは目を移した。そうして視線を流れ去る星へと向けたまま、レアナはひとつの質問をバスターへと投げかけた。
「ねえ、そういえば……バスターは今年、なんて書いたの?」
 皆の願い事が公然としていた昨年と異なり、今年は誰も、他の者の願い事を尋ねようとはしなかった。雰囲気が重苦しかったわけではない。ただ、今年はなんとなく、それぞれの願いはそれぞれの秘密、といった雰囲気だったからだった。ただ、それでも願いは皆、ひとつであった――。
「大したことじゃねえよ。……地球に帰るのなら、皆、無事で地上に降ろしてくれ……ってさ」
「……じゃあ、あたしと一緒だね……! あたしもね、そう書いたの」
「お前も……そうか、やっぱりな」
「でもね、今年もまた、もうひとつ願いごと……書いちゃったの」
「なんだ?」
「……幸せでありますようにって。こんな事態になっちゃったけど、せめて今だけでも、バスターやみんなと居られる幸せを壊さないでくださいって……」
 レアナは窓へ向けていた視線を、バスターのほうへとまっすぐに返した。気のせいか、その頬は赤くなっているようにも見えた。
「……本当、お前らしいよ……!」
 レアナの髪をくしゃっと梳くように触れながら、バスターは笑った。西暦2521年7月8日――もうひとつの「運命の日」まで5日を残すばかり。そのわずかな安息の日の、ささやかな祝いごとだった――。



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