[No pain, no fear.]


「本日はこれまで。全機あがれ」
「オツカサマデシタ」
 巡洋艦TETRA艦内。1日の訓練を終え、3名のクルー達がそれぞれの自機を片付けていると、格納庫内に聞き慣れた太い声が響いた。
「バスター、話がある。後でブリッジまで来てくれ」

「なんだ?艦長」
「任務中は目の前のことに集中しろ。なにか不具合でもあるのか?」
「べ…別に何も…」
 明らかに動揺を隠しきれない口調だった。実際、ここ何日かの訓練成績が落ちていることは、他ならぬバスター本人が最も自覚していた。
「一瞬の油断が大きなミスに繋がる。実戦となればなおさらだ」
「…わかっている」
「ならいい。それだけだ」
 黙ったまま敬礼を返し、バスターは踵を返した。
「悩みがあるなら1人で抱えこむな。…ワシでよければ話も聞く」
 背中ごしに聞いたその言葉にバスターは足を止めかけたものの、振り返ることなくそのまま艦橋を後にした。その様子を見ていたクリエイタのアイモニターに、心配げな表情が浮かんでいた。
 この数日のバスターの不調の理由をクリエイタは知っていた。そして同時に、バスターの中でわだかまっているものをほどくことが出来るのはバスター自身か、あるいはもうひとりだけ―その人物はクリエイタもよく知っている―であることもわかっていた。

 休憩所を兼ねたTETRA内のブリーフィングルーム。何をするともなくそこで腰を下ろしていたバスターに向かって、聞き慣れた威勢のいい声がかけられた。
「よお」
「…おう」
 手元のコーヒーカップから視線を上げたバスターが応える。力の無いその声を聞き、ガイがやはり彼らしくない神妙な表情で尋ねた。
「お前、この頃どうしたんだ?変なもんでも食ったのか?」
「調子崩しちまってな」
「…妙に素直じゃねえか。気味悪ぃくらいだぜ」
 自分のコーヒーをかき混ぜてぐいと飲んでからガイはまた続けた。
「ま、風邪でもひいてんのなら早いとこ治せよ。レアナも心配してたしよ」
 ガイが最後に口にした言葉に、バスターはわずかに体を震わせた。その動揺は手元のコーヒーの水面にも小さな乱れとして現れたが、ガイは気付いていないようだった。水面の乱れが収まるのを見届けた後、バスターは唐突にぽつりと口を開いた。
「…なあ、ガイ。…もし長官が汚職に関わっていたら、お前どう思う?」
 予想だにしなかった問いかけに一瞬唖然としたガイだったが、すぐに声を荒げて答えた。
「な、なにバカなこと言ってやがるんだよ!オヤジがそんなことするわけねえだろっ!」
「もしもの話だよ」
「もしもでもだ!まかり間違ってもオヤジはそんな汚ねえことに手を出したりしねえっ!!」
 ガイは手元のカップを握りつぶしかねない勢いだった。だがそんな相手の激高した様子を目にしても、バスターはほとんど表情を変えぬままだった。
「心底、長官を…父親を信頼してるんだな」
「ああ?…そんなの当たり前だろ!?」
「当たり前…普通はそうなのかもな…。悪ぃ、変なこと聞いちまって」
 無表情なままそう答えると同時にバスターは立ちあがり、冷めたコーヒーが入ったままのカップを片付け始めた。怪訝そうにその様子を眺めるガイの耳に、呟きめいた声が不意に入ってきた。
「…あいつが何をしようが、俺にはもう関係ないはずだったのにな…!」
 吐き捨てるような、半ば独り言じみた口調だった。はっとしたガイが引き止めようとした時には、既にその言葉の主は去った後だった。
「一体どうしたってんだよ…!?」
 ガイの声が、人気の無い部屋に取り残されたように響き渡った。その声はどこか寂しげだった。

 発端はどうということのない暇つぶしからだった。日の終わりにめぼしいネットニュースをチェックすることはバスターの日課だったが、その日は特にすることもなく時間を持て余していたこともあり、ほんの思いつきから過去の紙面を遡って飛ばし飛ばし流し読みしていた。すっかり忘れていた事件や昨日の事のように覚えている事件の数々。流石に目も疲れ、そろそろ切り上げようかとした時。ひとつの記事が突然視界に飛びこんできた。
 それはありふれた交通事故に関する記事で、それゆえ扱いも小さなものだった。だがその文中の被害者の名前のひとつは、バスターにとってひどく見覚えのあるものだったのだ。
「レアノワール?…レアナの名字じゃねえか?」
 記事からはレアノワールという夫婦が共に事故死したことと、2人の職業が連邦情報局勤務であるということ以外はわからなかった。記事の日付を確認すると西暦2507年―ちょうど13年前。
「レアナは確か俺より1つ下…17だったよな。13年前なら4歳…。まさか…このふたりがレアナの両親か…!?」
 レアナが子供のころ軍の施設に保護され、そこで戦闘機パイロットとしての専門教育を受けて育ったことは聞いていた。この記事の被害者夫婦がレアナの実の両親だとしても矛盾は生じない。
 ただ、レアナ自身が以前バスターに話してくれた"両親がいなくなった日"の話を思い出してみると、ただの事故死にしては不自然な点が幾つもあるとバスターは感じていた。それにレアナが"両親はまだ生きている"と信じていることを考えると、彼女は両親の消息をはっきりとは知らないようだった。本当に事故死だったのならば、なぜそのことをレアナは未だに知らない?
(そこまで俺が深入りしてもいいのか?何かわかったところでレアナに教えられることか?…だいたい、本当にレアナの親かどうかも確かじゃないってのに)
 そんな疑問にも似た迷いもバスターの中にはあった。ただ、そうはわかっていても、何があったのか明らかにしたいという気持ちが勝ってしまっていた。

「連邦情報局ノ ホストコンピュータ内ニ 侵入シテ データヲ覗ク …無理デハ ナイデショウ。シカシ…」
「ヤバいことだってことはもちろんわかってる。ただ、どうしても気に掛かることがあるんだ。俺ひとりじゃそう内部までは入りこめないだろうし、不正規アクセスに気付かれるかもしれない。頼む、クリエイタ」
 クリエイタに半ば強引に協力を頼みこんでまで連邦情報局へのハッキングを敢行したのは、そうすることが近道ではないかと考えたからだった。例の事故の被害者であるレアノワール夫妻の所属機関であったし、"情報局"という性質上、有益な情報を得られる可能性も高いかもしれないとバスターは感じていた。そして実際、その勘は当たっていた。10年以上前の所属者や彼等が関与した業務に関するデータなど厳重に管理すべきほどのものでもないと思われているのか、侵入防止レベルも大したものではなかったし、探り出すのに多少苦労はしたものの、13年前当時の記録は大部分が破棄されることなく、幸い意外なほど残されていた。断片的なものが多かったがそれらの情報を総合していくことで、件の事故の被害者に絡むキナ臭い事情を伺い知ることが出来た。
 レアノワール夫妻、特に調査官だった夫・レイフ=レアノワールはある大掛かりな汚職事件について調査していたらしいことや、2人が事故死した時期と前後して彼等の何人かの同僚も事故死もしくは志願退職していたということ…。おそらく後者は調査対象だった政治家達と政府上層部との間に"政治的取引"が交わされた結果だろう―モニターに映る過去の様々なデータに目を通しながら、バスターは眉をひそめた。
 古い職員名簿を細かく探ることで、なによりもバスターが気になっていたことを知る事も出来た。レアノワール夫妻には当時4歳の娘がいた。名前はマリアン=レアノワール―夫妻とレアナの関係は、バスターが抱いていた不安通りだった。
 レアナはまだ幼かったために両親と同じ"処分"は免れることが出来たのだろう。ただし公には"レアノワール夫妻の娘は消息不明"として戸籍をはじめとした4歳までの個人データを抹消された。名前を変えられなかったのは、親ばかりか「マリアン=レアノワール」という名まで奪うことに対して、軍施設での新たな保護者の良心が痛んだのかもしれないし、もしくは戸籍すら存在しない孤児に、わざわざ変名を与える必要などないと判断されたのかもしれない。どちらにせよ、レアナの両親が政治的取引の犠牲となり彼女が孤児となってしまったのだろうということ、それはほぼ確信に近かった。
(肝心の政治家連中の名前は…断片でも残っていればいいほうか…)
「クリエイタ、もう少し探れるか?」
「コレ以上ハ セキュリティレベルガ 更ニ アガルヨウデスガ ……ナントカ イケソウデス」
 セキュリティをかいくぐって十数分の後、レアナの父の調査対象だった人物のリストらしきファイルに辿りつくことが出来た。真っ先に握りつぶされそうな情報を案外簡単に見つけてしまったことにはいささか拍子抜けを覚えたが、それは幸か不幸かデータ破棄の際に見逃されたデータらしかった。
 後から思えば、乗りかかった船とはいえ何故そこまで踏みこんでしまったのか。それともそうすることが定められたことだったのか。リストのトップに連ねられた中心人物らしき男の名を目にした瞬間、バスターはこれまでにない驚愕を覚えた。
 ニーノ=ヴァスタラビッチ。父の名だった。
 間違いなかった。間違えようがなかった。あの男の名ならばここに記されていてもおかしくはないと戸惑いながらも理解は出来た。しかしそうわかっていても、父親の名を見つけてしまった衝撃は遥かに大きかった。
「大丈夫デスカ?」
 傍らからかけられた気遣いの言葉にバスターはびくりと我に返った。慌てて動揺を取り繕うように答える。
「え?い、いや。なんでもない。…向こうに勘付かれる前にそろそろ戻るか。あらかた、見ちまったし…」
 言うが早いかバスターは終了作業に入り、クリエイタもそれに続いた。作業を終え電源を切った後も、バスターはしばらくモニターに視線を向けたままだった。
「無理に付き合ってもらって悪かったな、クリエイタ。…このことは艦長たちには黙っててくれ、わかってるとは思うけどな」
 そう言って椅子から立ちあがると、ちょうどバスターの腰ほどの背丈にクリエイタの頭部があった。クリエイタの角張った頭をぐりぐりと撫でながら、バスターは更に続けた。
「中枢部にハッキング仕掛けたなんて、ばれたらまるでシャレにならねえからな。…悪ぃな、ロボットのお前にウソつかせることになっちまって」
「ソレハ 構ワナイノデスガ…」
 バスターの様子のほうがクリエイタはよほど心配だった。口調こそ明るかったが、バスターの目は虚ろに映っていた。
「…データ処理はお前の得意分野だし、今日見ちまったデータの中身がなんなのか、すっかりばれてるとは思う。けど、お前からレアナには言わないでくれ。それは俺が伝える…俺が伝えなきゃいけないことなんだ」
「……ハイ」
 自分が話すべきことではないことはクリエイタ自身も理解していた。ただ、これからのバスターの葛藤を思うと、今日見たメモリーを共有することでしかわずかな力になれないことは悲しいと感じた。

 "自分が伝えなくてはいけない"そう決意はしたものの、あの日以来、バスターはレアナを避けるように過ごしていた。わからなくなってしまったのだ。レアナにどう接すればいいのか、そもそも今まで通り彼女に接することさえ自分には許されるのか。知ろうとしなければよかったともちろん後悔はした。だが同時に、父親が犯した罪を知らずに今まで過ごしてきた自分に対しての怒りも存在していた。自分があの事実を知ってしまったことは必然だったのかもしれない。そんなことがあの日以来、常にバスターの内面にくすぶっていた―。

 ブリーフィングルームから自室に戻る途中、バスターは先刻のガイとのやりとりを思い出していた。幼い頃から憧れ、今もなお尊敬し続ける人物。ガイにとって"父親"がその揺るぎ無い対象であることは彼の言葉通り"当たり前"の事象。だが、バスターには望んでも得られなかったもの。普段は考えた事も無かったそんな事実が、今のバスターにはどうしようもなく重くのしかかっていた。素直にガイを羨ましいと思った自分に気付き、そんなことを願ってもどうしようもないことだろうにと自嘲的な気分に陥った。
「バスター?」
 ぐったりとした面持ちで歩いていたバスターの背後から、不意に声が掛けられた。振り返らずともそれが誰かはすぐにわかった。レアナが不安げな様子で尋ねてきた。
「ねえ、どうしたの?どこか具合わるいの?」
「…大丈夫だよ」
「だって、ここんとこずっと元気ないじゃない」
「疲れてんのかもな。さっきはガイにまで心配されちまったし」
 バスターがいつも以上にぶっきらぼうに答え、自室のドアを開けようとしたとき。レアナの思わぬ言葉がバスターの足をとどめた。
「…あたし、もしかしてバスターに嫌われるようなことしちゃったの?」
「な…、なにバカなこと、いきなり言い出すんだよ!?」
 突然のレアナの問いにバスターは声をうわずらせた。嫌うどころか、自分がレアナに対して抱いているのはまるで正反対の感情だということを、バスターはこの数日間で嫌というほど思い知らされていた。
 だがバスターの言葉を受けても、レアナの表情は悲しげなままだった。
「あたしのこと、避けてるみたいだもの」
 何も答えられなかった。レアナを避けていたことは言い訳のしようがない事実だった。声をかけるのは挨拶を交わすときか、任務中の最低限のやりとり程度。そんな状態がこの数日間続いていた。
「もしなにか悪いことしたのなら、あやまりたいから…」
「違う!お前が…お前が謝ることなんてないんだ!」
 謝罪すべきなのは自分だ、そう続けたかったが出来なかった。
「バスター…やっぱり変だよ…」
 そのままレアナはうつむいてしまった。数刻の重過ぎる沈黙の後、ぎりっと小さな音が聞こえた。バスターが固く拳を握り、はめたままのグローブが擦れたためだった。
「レアナ」
 バスターの言葉にレアナが顔を上げると、いつもの飄々とした雰囲気は微塵も感じられなかった。何か重い決意を秘めたような表情に、レアナは戸惑いを隠せなかった。
「…な、なあに…?」
「話すことがある。お前の…両親に関わることだ」
「!…あたしの…お父さんとお母さんのこと!?ど、どうして!?」
「とりあえず中に入ろう。…立ち話で済ませられるような話じゃない」

 レアナに備え付けの椅子をやると、バスターは寝台にうなだれるように腰を下ろした。
「……お父さんとお母さんのことで…なにを…知ってるの…?」
 寝台の正面の椅子におそるおそると座ったレアナがかき消されそうな小さな声で呟いた。両の手は膝の上で強く握られ、かすかに震えていた。
 その様子を視界に捉え、バスターはようやくこの数日、自分の内面を占めていたものがなんだったのかに気付いた。
 恐れていたのだ。過去の真相を伝えることで、父が犯した罪を告白することで、何かが壊れてしまうかもしれないことが。レアナが離れていってしまうかもしれないことが。
 それでも、それでも伝えなくてはいけない―。
「あいつが…」
「え…?」
「関わってたんだ…。お前の両親が消えた事件に…あいつが…俺の父親が噛んでたんだ!」
 それはレアナが聞き慣れた明るいバスターの声ではなかった。苦しみと憤りに満ちた、闇の中から絞り出すような声だった。続けてレアナの両親の記事をきっかけに知った過去の事件のことも、バスターは語っていった。レアナは黙ったまま両手を握り合わせていた。
「…そのリスト…他の連中の名前も見てみたけど、どいつも俺の父親の派閥傘下の奴らばかりだ…。親父が中心的存在だったのは…上層部との取引を指示したんだろうことは…間違いない」
 絞り出すような言葉はそれ以上続かなかった。
「なんてこった…お前に…それこそどんなことしたって、償いきれるもんじゃないってのに…!」
 それきりうつむいたまま、バスターは疲れきったように額に両手をあてていたが、不意に自分の手を握る感触に気付いた。顔を上げると、それが何なのかはすぐにわかった。いつの間にかバスターのすぐ前にしゃがみこんでいたレアナの、小さな両手だった。
 驚くほど穏やかな表情でバスターを見上げ、静かにレアナは口を開いた。
「…なんにも悪くないよ。バスターはなんにも悪くないよ。…だから、だからあやまったりすることなんてないよ…」
「けど…だけど…いくら詫びてもすむことじゃないんだぞ…!?」
 戸惑うバスターに対し、レアナは寂しげな笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「…もちろんお父さんとお母さんのことは…すごく悲しいよ。でも、もうずっと昔に起きちゃったことなんだよ…?バスターのお父さんがなにか関係したからって…バスターがひとりで抱えこんじゃうことじゃないよ…それに…それに…」
 バスターの手を握るレアナの指にいっそう力が入る。
「…そんな苦しそうなバスター見てるほうが…ずっとずっとやだよ…辛いよ…」
 ふたりの手にぽたぽたと涙が零れ落ちた。レアナが泣いている。彼女自身が受けた悲しみよりも、バスターの苦しみを想って。それはまるで、自分の中で凍っていた塊を解かしていくようにバスターは感じた。いつしかバスターはレアナを抱き寄せていた。彼女の想いが直接伝わってくるようだった。
「…もう大丈夫だよね…?バスター…」
 自分の胸に顔をうずめる少女を抱きしめたまま、バスターはこくりと頷いた。その温もりが途方もなく愛しかった。



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