No.23…"真・女神転生"(1992.10.30/SFC/開発・販売:アトラス)
No.23…"真・女神転生"(1993.12.25/PCエンジン SUPER CD-ROM2/開発・販売:アトラス)
No.23…"真・女神転生"(1994.2.25/メガCD/開発・販売:シムス)
No.23…"真・女神転生"(1997.12.1/SFC(ニンテンドウパワー)/販売:アトラス)
No.23…"真・女神転生"(2001.5.31/PS/開発・販売:アトラス)
No.23…"真・女神転生"(2003.3.28(廉価版:2004.11.26)/GBA/開発・販売:アトラス)
No.23…"真・女神転生"(2007.2.13/Wii VC/販売:アトラス)
No.23…"真・女神転生"(2010.7.14/PS ゲームアーカイブス/販売:アトラス)
No.23…"真・女神転生"(2013.7.3/WiiU VC/販売:アトラス)

 実はこの作品、SFC版発売当初は3DダンジョンRPGということで敬遠していた。しかし、ゲーム誌の記事で語られる世界観やストーリーに魅せられ、買ってプレイしてみたら……見事にハマってしまった。メガテンシリーズは数多く存在するが、その中でも最も多くのハードに移植されたのは、この『真・女神転生』である。

 既存のRPGでは、神や天使=正義、悪魔=悪という図式がほとんどである。実際、私もこのゲームをプレイするまでは、それが常識だと思っていた。しかし、プレイしてみてその考えは吹っ飛んでしまった。神や天使、それに悪魔。どれが正義でどれが悪なのかなどというステロタイプな図式は全くない。彼らにとって、人間は手駒に過ぎないのである。しかし、その神々や悪魔たちを言葉巧みにたぶらかして使役し、戦わせるのも、また人間なのである。この世界の中で最もずるがしこく、そしてしたたかなのは神でも悪魔でもなく、人間なのかもしれない。

 メガテンがマルチエンディングだということは有名である。秩序を重んじ、唯一神を崇める「ロウ」、多神教で古き神々を崇拝し、力こそ正義だと信じる「カオス」、そして人間という自分自身のみを信じ、最も辛い道を歩むことになる「ニュートラル」。『真・女神転生』では、この3種の属性に最終的に別れることになり、その結果、進む道によっては仲間との決別も待っている。仲間をかばって死ぬも、蘇生されてロウのメシアとして崇め奉られることになる「ロウヒーロー」、悪魔の力を得て強き者となる「カオスヒーロー」、そしてこの二人に生き方を左右されながら自身の道を決める主人公「ヒーロー」と、彼につき従う運命のパートナー「ヒロイン」。この若者達の行動が、やがては人類の行く末を決定するのである。

 『真・女神転生』はSFC、PCエンジン、メガCD、PS、GBAと多岐に渡って存在するが、いちばん遊びやすいのは最初に出たSFC版であろう。後発であるPCエンジン版やメガCD版には追加ビジュアルシーンなどがあるが、なにぶんハードがハードなので入手が困難であろうし、CD-ROMの宿命か、ロードがやたらと長いのである。それに比べてSFC版にはロード時間がないし、「アタックナイフで大儲け」という裏技まである。この裏技を使うと、序盤から資金に困らず楽々プレイ出来る。まあ、こんな遊び方は邪道かもしれないが……私がSFC版を強くプッシュするのは、やはり最初にプレイした印象が強く残っているからかもしれない。

 『真・女神転生』には直接の続編『2』も存在するが、ロウの戒律が世界を支配する世界観となってしまっている。その理由は、弱者を救済するロウの戒律でなければ、世界が存在出来ないからだと言われている(とは言っても異教徒は救済の対象にはならない。救われるのはロウの信者のみである)。力こそ正義であるカオスや、己自身の力のみで道を切り開くニュートラルの戒律では、弱者は生きていけないのである。しかし、前作がせっかくマルチエンディングだったというのに、結局はそれが何の意味も持たなかったことは非常に残念である。

 蛇足だが、初代『女神転生』の原作(小説版)も、シリーズを続けるごとにロウ寄りに傾いた展開となってしまった。それ故に偽善めいたロウを好きになれない私は段々とメガテンシリーズから遠ざかっていくことになった。メガテンシリーズもどんどんと変化し、今ではすっかり興味の対象ではなくなってしまった。けれど、『真・女神転生』というゲームを今でも好きである気持ちは変わらない。メガテンは再び原点に帰らないものなのかと思うが、それは叶わぬ夢なのかもしれない。



CHARACTERS

FAN FICTION
(2016.12.17)

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